高校時代の倫社の先生と電話で話す

藤田先生と電話で話す。そもそもの目的は哲学カフェのゲストになってほしいという話しだったが、「興味はあるが、近くにあればちょっと覗いてみようという程度」というお返事。確かに。来年、東京に来るついでがあれば、行ってみてもいいとのこと。たぶん9月かなとのことだった。

 その後、ハイデガーの話、実存主義の話、哲学とはなにかという話。藤田先生は、「道にある石ころは、こちらのそのときの状況によって見えかたが変わる。石そのものを話すのではなく、そのときの自分にとっての石のありかたを考えるのが哲学」といった。その考え方にしても、「どれだけ強く求めるかという部分で苦しさが出てくる。その苦しさが普遍性につながる」とのこと。ただ自分にとっての石を考えるだけだと「哲学」の「哲」だけになり、それを「哲学」にするには、これから3000年後でも「わかる」という普遍性がなければならない。

 ハイデガーニーチェに影響を受けて、フッサールの手法で考えていった人。「原存在」ではなく「存在」そのものに肉迫することにこだわっていて、「存在がなくても時間はあるか」ということも考えていたそうだ。先生の話す内容はいまひとつ理解できていない気がするが、「70年安保という時代背景のなかで、マルクスの対局にあった実存主義が救いになった」という時代性が私にないことも、理解できない理由のひとつかもしれないとのこと。

「今の哲学は金ピカで無理に作られたもののようだ。もっとこみあげてくるものが哲学」とのこと。先生が言わんとしてること、わかる気がする。