祖母というもの

 

祖母という存在について考えた。わたしは、自分にとっての祖母と、自分の子どもからみた祖母(つまり私の母)、つまり二世代に亘って先代を見てきた(正確に言えば、母方の曾祖母のお世話にもなっているが、物心つく前に亡くなっているのであまり記憶にない)。そして、ついには自分が祖母という立場になった。

私から見た祖母は、それほど大きな役ではなかった。自分が主人公、友達や両親が脇役だとしたら、祖母は脇役の脇役的存在。離れて暮らしていたこともあって、正直、あまり近い存在ではなかった。私の息子や娘にとって、祖母(つまり私の母)はもう少し身近な存在のようだが、それでも親に代わるほどの大きな存在ではないだろう。つまり、孫から見た祖母は、さほど大きな存在ではない。

その祖母が、自分のことをとても大切に思っているということには気づかないし、気づいたとしても「おばあちゃんとはそういうものだ」と思うだろう。ところが、実際に自分がその立場になってみるとよくわかる。祖母は、孫のことをこの上なく慈しんでいる。この気持ちを文字にするならば、「可愛がる」でも「愛しく思う」でもなく、「慈しむ」という表現が一番適している。実際に祖母になってみて、初めて自分が思っていた「祖母の愛情」とはかなり違うということがわかった。

祖母にとって、孫は命のバトンを渡す相手であり、自分がやがて消えていくことを思い知らされる存在。言い換えれば、自分の命と引き換えに、この世に遺していく存在なのだ。そんな相手と向かい合うのは、まるで自分が影になり、明るい方へと背中を押すようなもので、慈しむその気持ちの中には、徐々に失われていく自分の命への惜別も含まれているような気がする。「行ってらっしゃい」と見送りながら、その先にある未来を見届けられないという事実を受け止め、少し切ない気持ちになる。孫とは、そういう存在なのだ。

 

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