将棋と、質問の技法

 最近、将棋を始めた。将棋のことがまだよくわからないので、子供用に作られた将棋セットでやっている。駒に、進める方向が書かれているやつだ。それぞれの駒の動きを知るために、最初は「歩」なしでやってみた。すると、右端と左端にある香という駒がある。対面にも、同じように香がある。香はどこまでもまっすぐ進むため、お互いに睨み合っていている状況だ。右の香で相手の香を取れば、すぐに左の香で自分の香を取られるだろう。そう考えると、どう動かせばいいかわからない。これはちょっと、今の国際情勢に似ている。

 ところで昨夜、夫と国際情勢について話した。といっても、シリアスな話ではなく、まるで将棋のように「どこをどう動かせば、よくなると思う?」というような他愛のない話。そのとき、夫が「こうなるとよくない」という例を出した。そこで私は、「では、そうならないためにはどうすればいいの?」と聞いた。彼は少し考えて、「ここをこうすれば」と答えた。私は、「そうすると、どうなると思う?」と聞いた。私から質問されるたび、「うーん」と考え込んで答える夫。その答えに対し、また質問する私。こんな調子で、しばらく会話を続けてみた。すると、ちょっと意外な結論にたどり着いた。

 この場合、その答えが「正しい」か「間違っている」かということは、さほど問題ではない。もちろん政治に関わる人であれば判断の是否は重要だが、私と夫が夜中に話を楽しんでいるという限り、その是否はさほど問題にならない。むしろ、こうやって質問を重ねていくことにより、自分の中にあったひとつの結論を見つけ出すことが重要なのである。

 このとき気をつけなければいけないのは、質問者である私が自分のバイアスをかけないこと。つまり、私の考えを影響させないこと。その人にとっての「答え」は、必ずその人自身の中にある。それをただ引き出すために、質問を繰り返すのだ。5月9日の日記に、

結局、答えは自分の中にしかない。誰が何を言おうと、それを見つけるのは彼女自身だ。ただ、この僧のたとえ話のように、その答えを見つけるための道筋は、人と話すことによって見つけ出すことができるかもしれない。

 と書いていたが、それは確かにその通りだ。