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天草賛歌

昨日、母の短歌集が届いた。母が長年作り続けた短歌を、父がすべて丹念に読み、選び、年代順に並べて作った本。今時めずらしいほど丁寧な体裁で、よほどコストをかけただろうと思ったが、なにより驚いたのはその内容。10代の頃から始まり、約70年後の亡くなる寸前まで、母の一生がその本の中にあった。

10代の頃、特に多感で傷つきやすい時期に結核に冒され、彼女は死の影におびえていた。その後病気は回復し、結婚して私を産んだが、結核が再発し、合計3回入院したという。それから60になるまでは短歌から離れていたが、天草に住処を移し、自然に触れることで、また短歌を作りたくなったようだ。かつての乙女は年を取り、老境を迎えた気持ちが謳われていた。そこには、時間の流れ(老い)に驚き、知人の死を悲しみ、名残を惜しむように自分の周囲にある命を愛する気持ちが込められていた。

ある意味、写真や映像より生々しく、彼女の心がそこに刻まれていた。それがあまりにも鮮烈で、私はおいおい泣きながら最後まで読んだ。言葉の中に、彼女はまだ生きていた。考えてみれば、文学や音楽、絵もそうだ。その人のエッセンスが凝縮されたものなのだ。母が書き、父が形にしたこの本が、そのことを教えてくれた。

桜はまだ咲いている。雨に降られても風に吹かれても、まだ耐えている。儚いものの中にも、しぶとさはある。窓を開けると、雨上がりの湿った空気が部屋に流れ込んできた。ここにも、天草と同じ自然がある。私もなにか、書かなければならない。