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「哲学」という名前がよくない

昨日の話。「クレイジーケンバンド」のギター、小野瀬さんがライブをやるというので、夫、荻島さん、私の3名で見に行った。小野瀬さんは、昔セッションで一緒に演奏していたことがある。ギターもさることながら、私は彼の声が好きだった。またあの声が聞けると思うと嬉しかった。

ライブ前、開場を待つ間に荻島さんと哲学の話をした。実は近々、哲学エッセイを書くことになっていたので、そのことを話してみたかったのだ。

荻島さんは「哲学に興味がない」という。「だって、哲学が好きな人って、ニーチェとかハイデガーとかの話をするでしょ。それって、哲学の歴史を学んでいるだけだよね。それが何の役に立つのか、僕にはよくわからない」。

彼が興味があるのは、もっと実践的なこと。例えば、1月の私が抱えていたような仕事の問題を解決するには、どうすればいいのか、というようなこと。あのとき彼は、私に「何が大変なのか」と聞いた。そのとき私は「仕事の量が多いので、睡眠時間を削っても〆切に間に合わない」と答えた。次に彼は、「なぜ〆切に間に合わせなければいけないの」と聞いた。私は「〆切に間に合わないと、出版社や印刷所に迷惑がかかるから」と答えた。すると彼は、「迷惑がかかると、どうなるの」と聞いた…。そんな風に次々と質問を重ねていき、私が答えられなくなると、「そこが、自分の壁。その壁を乗り越えないと、問題に対する解は得られない」と言った。

この問答を「哲学ではない」という人はいるだろう。でも私には「こうやって考えていく過程こそ哲学」と思う。池田晶子さんの本「14歳からの哲学」は、こんなやり取りに近い内容だった。

14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書

 

 荻島さんの言うとおり、通常「哲学」というと「哲学史」のことだと考える人が多い。しかし、この本には「哲学」という文字が入っている。このタイトルにある「哲学」が、私の考える「哲学」に近い。

哲学カフェのテーマを決めるとき、しばしば聞くのが「それは哲学っぽくない」という言葉。この言葉は、最も哲学から遠いと思った。とすれば、私が考える哲学とはなんだろう。

私は、うまくいかないことが多い。そのたび「なんでこうなるんだろう?」と考える。苦しいけれど、ずっと考える。そうすると、「あ、ここがそのターニングポイントだった」というものが見つかる。そしてそこには、なにかしら共通するルールがある。そのルールを考えるのが、私にとっての哲学である。