自分はどこにいるのか

 「彼岸寺」というサイトがある。その中に、とても興味深い記事があった。大変納得できたので、記録のために引用しておく。

横田:よく映写機のたとえなんかしますけれどね。見たり聞いたりというところから生じる心の波立ちによって、目の前に映像のようなものが映し出されるわけですな。私らは、ただそれを見ているだけであって、ほんとうはこの「いま」というところから微動だにしていない。禅のことばに「いまが永遠である」とかね、「永遠がいまである」とかいうのがありますけれどね、それはほんとうだなあっていうのを思うね。いまがそのまま無限なのよね。その中でいろんなものを感じているに過ぎないんじゃないかなあ、と。時間というものも、ほんとうは、心が作り出したもんなんじゃないのかなあ、って、そんなことを思うわけです。

小出:ああ......。私も、ずっと、時間っていうのは直線的なものだと思っていたんですよ。勘違いしていた。いまっていうのは、過去から未来に向かっていく不可逆の直線上の、ほんの一瞬の、この点のことなんだって。この狭苦しい、この一瞬、これだけがいまなんだって。

横田:それに集中しようたって大変でしょう。神経すり減っちゃうばかりですよ。

小出:まさしくそうなんですよね。すり減っちゃって......。でも、あるとき、ふいに逆転が起きたんですよ。過去と未来の間にいまがあるわけじゃない。いまの中に、過去と未来があるんだって。そうしたら一気に視界が開けました。ぜんぶじゃん、これぜんぶじゃん、いまの中にぜんぶあるじゃん、って。