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「共感共苦」と、テロ事件

THINK

 昨日開かれた「哲学カフェ」の参加者は、カフェ始まって以来の最多人数で50名余。カフェはほぼ満席になった。ゲスト講師である竹村牧男氏(東洋大学・現学長)が作成した資料を配布し、今回のテーマ「正義や悪はあるのか」について語り始めた。

 もともと仏教哲学が専門である竹村氏は、「仏教では正義や悪という話はあまり出てきません」と前置きし、あえて悪の話をするのであればと「悪人正機」の話をした後、「正義」と「善」の違いについて述べた。

 また、「宗教」と「道徳」の違いについても言及し、「宗教には自分は何かという問いがあるが、道徳にはその問いはない」としながらも、「しかし仏教の“善(クシャラ)”は『二世にわたって自他を順益するもの』とされ、“不善(ア・クシャラ)”は『二世にわたって自他を違損するもの』と定義されている。すなわち、ここに社会倫理はある」と説明。

 ここから環境問題に話が発展し、「世代間倫理、すなわち次の世代に対する倫理についても考えなければならない」と述べた。例を挙げるとすれば、たとえば福島原発の問題。自分たちの世代のみの影響を考えるのは、不十分。次の世代に何を残すのかというところも考える必要があるという。「しかし、次の世代のためになにかをしたとしても、私たちはその見返りを受けることはない。ではなぜ、そんなことをするのだろうか。そこに『共感共苦』がある」。

 共感共苦、つまり共に喜び、共に苦しむということ。竹村先生いわく、「苦しませることが忍びない、とても耐えられないという気持ち」が、共感共苦。この気持ちがあるから、見返りがなくとも世代間倫理がある。そこにあるのは理屈や理論ではなく、直感。心の奥底で感じるものだと。

 今日、いくつか痛ましいニュースを見た。なかでもつらかったのは、西アフリカのナイジェリアで起きた、10才ぐらいの女の子が自爆テロの実行犯になってしまったという話。おそらく、その女の子は、自分が何をしているのかわからないまま、自らもテロの犠牲になったに違いない。なぜ、そんなことができたのだろう。そこで思い出したのが、「共感共苦」の話。このテロ事件の中には、少女に対する「共感共苦」が感じられない。世代間倫理も感じられない。ただ一人の人間に立ち返れば、そこに立つ一人の少女に対し、「忍びない」「耐えられない」という気持ちが沸き立ってくるはずだ。

 ところで余談だが、昨日のカフェには、東洋大学の開祖である井上円了先生のお孫さんが参加した。お話をしたのは、現学長。つまり、開祖の孫と学長のご対面である(お二人は、以前から面識はあったとのことだったが)。これぞ、レジェンド!