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韓氏意挙 <試みる>ということ

 韓氏意挙で、初めて「予備式」をやった。ただ「立つ」だけなんだけど、これがまたおもしろくて。身体の中に注目し、何かが発動してくる気配を感じるなんてこと、日常生活ではなかなか体験できないから。

 それと、「試みる」ということが興味深かった。誰にでも、未知の領域がある。怖がらず、そこに向かっていくということは、より深く「生きる」ことにもつながっていく。だから、失敗の中にも貴重な学びがあるのだ。

 わたしの心の底にある「失敗に対する恐れ」を、内田教練は見抜いている。うまくいかず、最初からやり直そうとすると、いつも「やめないで、そのまま続けて」という。「うまくやることを意識しないで、ただ自分の中で起きていることに注意を向けて」と。これが、簡単なようで、なかなかうまくできない。

 内田教練のツイートに、こんなことが書かれていた。なるほど、と思う。

未知に向く試みには独特の怖れがある。緊張がある。そこから逃げ出さずに向き合うには勇気が試される。習慣、惰性から目を背けず、弱さを強さで隠さず、弱っちい自分に向き合う勇気。難事ではあるがこうした試みには楽しさ、喜びがあり、敬いが生じる。

  また、別のツイートには、こんなことも。

深い稽古を終えて身体の層が少しずつ戻っていくと何処かでホッとしたような感じがする。未知への試みから私達の慣れ親しんだ娑婆に戻るとそこにはそこで安心、落ち着きがある。社会、社会性に何処かで矛盾や煩わしさを感じるが同時にそこに慣れや安心を得ている。