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井上円了哲学塾の説明会で修了生としてコメント

井上円了哲学塾の説明会で、昨年の体験を話すことになった。場所は東洋大学で、参加者は20名弱。熱心に聞いている人が多かった。

あらかじめ原稿を作っておいたので、比較的スムーズに話ができたと思う。その原稿を、以下に記録しておく。時間にして、だいたい10分程度の長さ。興味のある人は、「続きを読む」からどうぞ。

 

 

  みなさまは、哲学という言葉にどういうイメージを持っていらっしゃるでしょうか。哲学という言葉から「歴代の哲学者について学ぶ」と思っている人は多いのではないでしょうか。実はわたしもそうでした。高校のとき、倫理社会が得意で、その続きを勉強したいというような気持ちで応募しました。

 ですから、入塾を希望した目的は「哲学基礎講座」でした。竹村先生の「哲学入門、井上円了の実践哲学」や、山田先生の「中国哲学現代社会」、山口先生の「インドの哲学と現代社会」、吉田先生の「東洋思想と現代の産業」、河地先生の「日本的なるものと現代日本」と、タイトルを聞くだけでワクワクしていました。実際、とても濃密かつ貴重なお話ばかりで、1時間半があっと言う間でした。もう少し長くお話を聞いていたいと、毎回思っていたことを、今も覚えています。

 その基礎講座が終わり、哲学実践講座が始まるとき、正直「それは必要だろうか?」と思っていました。たしかに著名な講師陣がそろっていて、どの方のお話も聞く価値あり、「こんな値段でこんな人たちの話が聞けるなんてお得」という気持ちはありました。ですが、その方々の分野は多岐に渡り、わたしがもっている哲学のイメージとはかけ離れていました。「それは果たして哲学なんだろうか」と疑問を感じていました。しかし、それは私の大きな勘違いでした。そのことを教えてくれたのは、実践講座の2回目に登場したハロルド・クロトーという方でした。

 彼は、1996年にノーベル化学賞を受賞したイギリスの研究者で、このときの講義のタイトルは、「The Birth of Natural Philosophy and its Prodigal Son: Science」(自然哲学の誕生と、その放蕩息子である科学)でした。

 これは余談ですが、当日講義が始まったとき、呆然としました。最初から最後まで、英語での講義だったんですよ。配られたヘッドフォンをつければ、同時通訳を聞くことができましたが、同時通訳ってとても大変なんですよ。どっちの声も聞こえるものだから、なかなか頭が追いつかなくて。結局、ヘッドフォンを外して頑張って英語を聞いていましたが、残念なことに一部しか聞き取れません。その貴重な一部を、ここでご紹介します。

「あなた方は、地球が自転しているとお思いですか?…はい、そうですか。みなさん、そう思われているのですね。ではお聞きしますが、この中で、地球が自転していることを実証できる方はいますか?…いない。非常に面白い(笑)。ではみなさん、ご自身で確かめていないことを、当たり前のことと認識されているのですね」

 ハロルドは、「科学とは自然哲学であり、何が真実であるのかを発見することだと話しました。また、科学は常識ではなく、常識を疑うところに真理の発見があると。つまり「常識を疑え」と言うことなんです。そこから、科学は生まれました。コペルニクスしかり、ダーウィンしかり、アインシュタインしかり。そして、「哲学も同じです」と。

 「この講義は、果たして哲学なんだろうか?」という私の誤解を豪快に吹き飛ばす、素晴らしいメッセージでした。彼は、「そもそも哲学とはなにか?」ということを、この講義の中で教えてくれたのです。これこそ、なによりも「哲学的」な教えでした。哲学史こそ哲学であると思っていた私は、頭を殴られるようなショックを受けたと同時に、たいへん興奮しました。

 さて、冒頭の「哲学とはなにか?」という疑問に戻りましょう。井上円了は、「井上円了の教育理念」のなかで、哲学についてこう説明しています。

 人間は肉体と精神の二面を持っている。肉体を練磨する方法として運動や体操があり、これによって健康を維持しているが、精神面でも同様のものが必要である。哲学はそのための学問であり、思想練磨の方法である。
 ニュートン万有引力コペルニクス天文学上の発見などは人間の思想活動によって想像力が高められた結果であるが、思想や精神は決して自然に発達するものではないので、身体を鍛えるのと同様に精神を訓練する必要がある。それが哲学を学ぶことである。

 本書によると、つまり思考力を鍛えるためのラジオ体操が哲学なのだ、ということになります。
 今は、ネットやSNSの普及で、誰もがなにかしら考えて情報を発信しているように見えますが、その実、その中身は誰かの話の受け売りだったり、情報をそのまま拡散しているだけで、実際にちゃんと考える習慣は少なくなってきているように思います。情報があふれる今の世にこそ、哲学が必要なのではないでしょうか。そして、そのときに大事なのは「常識を疑え」ということ。私は、ハロルドの講義から、そのことの重要さについて学びました。

 次に、グループワークについて少しお話します。
 哲学塾には、グループワークという時間があります。老若男女がまんべんなくそろったメンバーでチームを組み、テーマをきめて数ヶ月間、徹底的に議論し、研究を進めていくんです。これ、結構ハードです。なにがハードって、テーマを決めてから研究する期間がわずか二ヶ月ですから。土曜日ごとに話してもたった8回。しかもわたしのチームは、テーマが決まるまでに時間がかかり、実質取りかかれたのがほぼ12月になってからなので、約一ヶ月で仕上げたことになります。

 我がグループのテーマは「取捨選択」でした。どういうシーンでどう選択するのかを、生活シーンから徹底的に洗い出し、その判断基準やパターンについて分析しようと言う、とても一ヶ月では無理そうな内容です。ですが、私たちはとりあえず取り組みました。

 メンバーはそれぞれ、毎日自分の「取捨選択」シーンを記録し、その内容を発表し合うなかで、「取捨選択を行う上での共通軸はないのか」を見いだそうとしました。そして「もし共通軸があるとしたら、これこそ最高の選択法というものが見つかるのではないか」という大きな野望を抱きました。もしそんなものが見つかれば、ノーベル賞をもらえそうなほどの大発見だと思います。だって、それを学べば誰だって正しい選択ができるようになるんですよ。

 結論から言えば、残念ながら最高の選択法は見つかりませんでした。しかし、みんな違ったパターンで思考し、判断しているということはよくわかりました。人の判断パターンをみると、不思議なことに自分の判断パターンも客観的に見えるようになります。つまり、これまで自然に、なんの疑問をもたずにやってきたことを、この研究のなかで、改めて考えることができたのです。

 これも、ハロルドのいう「常識を疑え」ということだと思います。つまり、自分がこれまで考えてきた常識は、他の人からみると常識どころかとんでもない発想だったということを知るということです。

 この経験を通し、私は実にいろんなことを学びました。人の話を聴き、自分のことを話しながら、ゴールにむかって一緒に進んでいくということ。これはなかなか社会で体験できることではありません。これだけ幅広い年齢層の人と、フラットな関係で話ができる機会というものも、なかなかありません。おかげで私は、自分の子どもより年下の友達が何人もできました。彼らとは、今もたまに話したりします。そして、いろんな刺激をもらっています。

 あまりにこの体験が刺激的だったので、卒業とともになくなるのが惜しくなり、同期メンバーで「哲学カフェ」を運営しようということになりました。実は昨年も、先生方が神保町で講義形式の哲学カフェを開催されていたのですが、私たちはその名前を受け継ぎながらも、講義形式ではなく、グループワークのようにみんなで議論する場、そして改めて「常識を疑う」機会を設ける場としていこうと決めました。それが、井上円了氏の志を受け継ぎ、広く門扉を広げて、どなたでも参加でき、一緒に考える場をもつことだと思ったからです。

 この7月から、いよいよ「哲学カフェ」を始めます。この会場にいらっしゃる皆様も、よかったらぜひそちらにも参加してください。そして、一緒にいろんなことを考えていきましょう。たとえば、「なぜ締め切り間際まで仕事に手をつけないのか」とか、「人は結婚すべきなのか?」など。 ね、どれも不思議ですよね?

 テーマは、ほかにもいろいろ出てくると思いますが、どんなテーマであれ、いろんな人と徹底的に話し合う中で、きっとこれまで気づかなかった新しい視点を見つけることができると思います。私にとっては、これが最高に「哲学すること」なのです。このことに気づかせてくれた「哲学塾」に、改めて感謝の意を捧げたいと思います。そして、本日いらっしゃった皆様も、ぜひこのすばらしい時間を体験してみてください。必ず人生、変わります。