一生幸福になる超訳般若心経

 苫米地さんの「一生幸福になる超訳般若心経」を読了。以下は、その感想というか、メモ。

一生幸福になる超訳般若心経

一生幸福になる超訳般若心経

 

 本書によると、知覚と認識はどちらも外のもの。内側にあるものではない。つまり、私自身ではない。それらは縁起によるものであり、空(くう)である。あるとも言えるし、ないとも言える。変化の中で一時的に形作られる幻である。

 その刹那的なものを軽んじるでもなく、こだわるでもなく、ただありのままに感知し、味わうこと。そして、それらが自分ではないと知ること。知覚や認識と自分を同一化すると、そこに迷いが生じる。わたし自身と外にあるものを分け、ちゃんと観ること。マインドフルネスの根っこ、「今ここ」の根っこが「空(くう)」である。

 みんなそれぞれ縁起の中で、何かの役割を果たしている。その役割自体には、意味がない。ナンセンスでもあり、フルセンスでもある。

 空(くう)は、パワフル。エンプティではなく、フルネス。何もない虚しさではなく、無制限に何かを生み出す源である。個々で成り立っているものなんて、どこにもない。親に感謝しろというのは、つまり全体に感謝しろといえことなのだ。

 最後に、心に残ったフレーズを引用。

人は誰しも世の中に果たすべき機能(役割)をもって生きています。役割の大きさや重さに多少の違いはあるかもしれませんが、何の役割もない人などいません。そして、その役割は生きている間しか果たせません。