保留を続ける

昨日の続き…かな?

実は私のブログは1997年からスタートしているので、今年で14年目。
これだけ長い歴史があると、なかなかやめにくい。
自分の人生アーカイブとして残しておきたいという気もするし。

それとは別に、プライベート日記もつけている。
表に書けないようなこと、書いても私以外の人には意味がわからないこと。
思いついたこと、覚えておきたいこと…なんでもそこに書いている。

最近は特に、プライベート日記のほうが充実している。
単なるメモ程度なら、しかも誰に見せるでもない文章なら、
いくらでも書けるのだけれどね。
人に語るべきこととなると、とたんに寡黙になる。

たとえば、原子力発電事故の話題。
Twitterをみていると、いろんな人が自分の意見を書いている。
まず、「推進派」か「反対派」か。
次に、その理由。そして、これからどうするべきか。

でも、その最初の段階で、私は沈黙してしまう。
私は反対派なのか? 推進派なのか?
その立場表明さえ、まだ十分に出来ないでいる。

原子力発電のこと、放射能汚染のこと。
わからないから、わかろうとしている。
あれこれ情報を読み、番組を見て、考え、家族と話し合ったりしている。

それでもまだ、自分の立場が決められない。
「原則学」でいうところの「健全なる保留」に従って、
決められない間は、無理に決めないほうがいいと思っている。

ただ、保留を続けるのは、大変しんどい。
自分の立場を「えいやっ」と決めてしまったほうが、おそらく楽だ。
そういう誘惑にかられることもある(最近はほとんどないけれど)。

あるいは、完全に目をつぶってしまうという方法もある。
これもきっと、相当に楽なはずだ。
判断を誰かに委ねてしまうというのも、同じく。
そうすれば、心の荷はとても軽くなるだろう。

しかし私はそういうこともせず、相変わらず保留を続けている。
考えながら、読みながら、聞きながら、でも判断せずに。
いつまで続けるのか、自分でもよくわからないが、
きっとこれが一番の近道であろうという気がしている。