死ぬということ

 先週木曜の朝、遠縁の女性が急逝した。前日まで普通に暮らしていた人が、おやすみといって眠り、朝になったら亡くなっていた。関係者から聞く話によると、どうやらそういうことだったらしい。眠っていて、ご本人も知らぬまま息をひきとったのであれば、さほど苦しくはなかっただろう。それだけが、幸いだった。

 二度、お会いしたことがあるが、とても印象に残る人だった。お宅にお邪魔したとき、お寿司とお味噌汁、お漬け物をふるまってもらった。お味噌汁がとても美味しかったので、そう告げたら、とても喜んで「だし」と「味噌」を持たせてくれた。美しく、明るく、優しい女性だった。「Only The Good Die Young」とは、よく言ったものだ。できれば、もう一度お会いしたかった。そう思うのは、残された者のワガママに違いないが。

 テレビのドキュメンタリー番組などを見ると、「人はなかなか死なないものだな」と思う。しかしその一方で、人は案外、簡単に逝ってしまう。5月に知人を亡くしたときも、そう思った。そういう別れ方をすると、どうも真実味がなくて困る。またすぐに会えるような気がしてしょうがない。

 ともあれ、人は必ず死ぬ。相方曰く、「人間の致死率は100%」だそうだ。日本では、まだ死がタブー視されているが、海外では死と仲良くつきあいながら生活する場所もあるそうな。以前、相方がamazonで注文したDVDが週末に届いたので、二人してじっくり鑑賞した。「チベット 死者の書」というDVDだ。びっくりするほどタイムリーなテーマだ。

 中には、かの有名な「チベット死者の書」についてのドキュメンタリー番組が2本収録されていた。最近なにかと話題になっているジブリ宮崎駿氏が、この作品を「もののけ姫」を作る際に参考にしたという。確かに、「もののけ姫」に出てくるような風景もあった。

 チベットでは、死はタブーではないようだ。それどころか、当たり前のように人生の最後にきちんと死を迎えるための勉強をする。やがて死を迎えようとしている人に、これから彼の身に起こることをこと細かく教えるマニュアルが「死者の書」だ。チベットの僧侶は、危篤状態の人の横に座り、おもむろに「死者の書」を開いて朗読を始める。●●●よ、よく聞きなさい。これからあなたは、死んでいくのだ。でも、決して恐れることはない…。

 誰だって、死ぬのは怖い。それは、死がなんたるかを知らないからだ。まして、死をタブー視する日本では、死は非日常であり、忌むべきものだから、自分の身に降り掛かってきたら絶望するよりほかに道がない。自分が生きる先に、そんな絶望が待っているなんて、考えただけでつらくなる。日本にも「チベット死者の書」のようなものがあればいいのにと思った。死は終わりではなく、ただの変化であるということを、チベットの人のようにもっとちゃんと信じたい。