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自分の可能性を見極める


 仙台在住のイラストレーターさんが上京するというので、彼女とSさんと私の三人でランチをご一緒した。彼女は今、25才。仙台ではデザイナー会社に勤めていたが、先週、そこを辞める決心をしたとのこと。来年3月にはフリーになり、頃合を見て東京に進出し、本格的にイラストレーターとして活用しようと考えているとのことだ。

 私もSさんも、実はそのことを一番心配していた。フリーのイラストレーターは、それほど実入りのいい仕事ではない。安定した職があるからこそ、余裕をもってイラストが描けるのだから、仕事を辞めてはいけないと再三話をしていたのだが、彼女のイラストに対する情熱は激しく、そんな説得ではとても納得できなかったようだ。

 「自分の可能性を試したい」。彼女は何度も、そう言った。「今しかやれないのだから、今、やれるだけのことをやっておきたい。そうしなければ、後悔するような気がする」。その言葉を聞きながら、ああ、これは止められないと思った。なぜなら、その言葉は遠い昔、私がそのまま口にしていたものと同じだったからだ。その気持が止められないということは、ほかでもない、私自身がよく知っている。とはいえ、「だったら、頑張ればいい。大丈夫、きっとなんとかなる」とは言えなかった。彼女の気持ちと才能は評価している私だが、それでも両手を上げて応援するわけにはいかない。

 自己実現の罠、という言葉がある。「自分の力を試してみたい」という欲望は、実はあまり人を幸せにはしない。それを知っているからこそ、島田紳助は「M-1」を企画したのだろう。Wikiによると、M-1は「デビューして10年たっても準決勝に残らない程度だったら、漫才はやめたほうがいい。いつまでも諦めきれず、ダラダラ続けていたら、その人間はきっと不幸になる」ということで企画されたそうだ。自分の力を試してみたいという気持ちがあるのは、悪いことではない。できるかどうか、やってみるのもいいだろう。しかし肝心なのは、どこで諦めるかということだ。いつまでも諦めきれず、成果もでないのに続けていたのでは、本人も周りもつらくなる。

 イラストレーターの彼女には、果たしてそれができるだろうか。やるだけやってみて、なかなか芽が出なかったとき、「あと一年がんばろう」「来年はきっと、もっとよくなる」と自分を励ましながら、決心を先延ばしにしないだろうか。そして、そのとき私は彼女に「もうやめたほうがいい」と言えるだろうか。いや、今日の私が彼女を止められなかったように、きっとそのときも私は黙ってしまうだろう。