5月6日 病床で得たもの

 夕方、眠りから覚めてみると、身体が軽かった。ノドの痛みも感じない。あ、さては風邪が治ったな。そう思って熱を測ってみると、案の定、見事に平熱だった。

 寝ている間に、少し汗をかいたらしい。汗を吸ってひんやりしたパジャマを脱ぎ、洗い立てのパジャマに着替えることにした。清潔で、気持ちよく乾いているパジャマに腕を通すとき、唐突に「あぁ、幸せだ」と思った。それがあまりに唐突だったので、ベッドに腰掛けて、この幸福感はなんだろうと少し考えてみた。たとえばそれは、病気の辛さから逃れられたことに対する幸福感だろうか。たしかに、それもあるかもしれない。だけど、それが全てではないような気がした。

 そういえば、今回の風邪で熱があがっている途中、ふと客観的に今の自分の苦しみを検証してみようと思ったことがあった。生まれてこのかた、何度となく風邪をひいてきたけれど、治るたびに病気の苦しみをすっかり忘れてしまう。それがちょっと口惜しくて、あとでちゃんと思い出せるように、今回はしっかりこの辛さを分析しておこうと思ったのだ。

 改めてどこがどう辛いのか考えたとき、まず、胸のあたりが重苦しいことに気づいた。たぶん、思うように呼吸できないせいだろう。それと、身体全体が重かった。なにかしようと思っても、手や足の関節が痛くて思いきり動けない。だから、いつもよりゆっくり、そっと動いていた。喉が痛むから、おしゃべりもおっくうだった。口を開くのは、どうしても伝えたいことがあるときに、最低限の言葉だけ話すようにしていた。

 病気の影響は、身体だけでなく、頭の中にも及んだ。考えなければいけないことがあっても、なんだか面倒臭くて、あとでいいやとすぐに諦めた。ただ、やたらとパズルがやりたくなった。娘に教えてもらった「数独」を、1時間でも2時間でも根気よくやり続けた。問題を解くために、細かい作業をコツコツ積み上げていくことが、楽しくて仕方なかった。身体が元気なときは、「こんな面倒臭いこと、やりたくない」と思っていたはずなのに。

 改めて健康な私と病中の私を比較してみると、明らかに違う点がある。元気なときの私は、ビジネスでもプライベートでも、効率よくスピーディに進めていくことに価値を感じていた。しかし、風邪をひいて寝込んでいる間に、別の価値観が芽生えた。それはつまり、ひとつひとつの作業にじっくり取り組み、丁寧に積み上げていきたいという欲求だ。

 このことを自覚したとき、身体中の力が抜けるような安心感を覚えた。そういえば私は、昨年末以来、大きな流れの中に身を置き、必死で泳ぎ続けていた。あまりに熱心に泳いでいたから、自分の足が地面に届いていないことに気づけなかった。でも、得体のしれないぼんやりとした不安は、常に感じていた。その不安の正体が、今はじめて見えたような気がした。

 目の前にあるものに、全力を尽くす。こんな簡単なことが、私はずっと実行できていなかったらしい。無理せず、一歩ずつ確実に進んでいく喜びを肌で感じることができたことが、今回の風邪騒動の中で得た一番の収穫だったかもしれない。

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真花の雑記帳 Neo
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